ゴルフ スロープレー退治

レッスン

自己中心的なマインド

テレビの悪影響も

場所はサンフランシスコ郊外の オリンピック・カントリー・クラブ、1966年の全米オープンでのできごとである。時計を持った 役員がジャックニクラウスにびったりついて回った。ニクラウス が少し時間をかけてねらいをつけていると、さすがに「おそいぞ ! とはいわないが、さもそう言いたそうに時計とニクラウスの顔を見比べる。泰然居士のニクラウスもこれにはたまらず顔面まっ赤 にして激怒した場面もあった。

スロープレーに勘忍袋の緒を切らした米国ゴルフ協会が、それまで1ラウンド5時間以上もかかるプロがザラにいたところを、この大会では「四時間以内」に制限し、なかでも札つきのニクラウスには時計係を配した。 これが「ニクラウス殺すにゃ鉄砲はいらぬ・・・・・」という事態の背景である。

協会があえてこの挙に出たのは、何も特定の選手のシリを叩くことだけが目的ではなかっ た。全ゴルファーにスロープレーの非を警告するのが真意だった。いまスロープレーを警告しなければゴルフの本流は困った方向に向かってしまう、という認識があった。

スロープレーの歴史は古い。戦前のプロは早く打つことに名人気質を誇ったものだが、段々その感覚が薄れてきた。南アから米国にきたボビー・ロックは無類のスロープレーヤーで有名だった。普通パッティングに1分もかければ大変スローに思えるのだが、ロックは4分半もかかったという。彼ははからずも1950年代、外国人として米国で大活躍して異彩を放つ存在になった。そして「妙な打ち方でも結構いけるものだ」「おそいプレーでもゴルフはゴルフ」といったありがたくないおみやげを残した感じすらあった。

賞金金額が大きくなるにつれ、1打の差が1万ドル、2万ドルの差につながってくるとプレーはますますおそくなり、テレビが実況放送に乗り出すと大賞金試合のスロープレーが一般に影響を与えるようになった。

そんなにせかせるな。「せっかく楽しみに来たんじゃないか」という声も一部にはある。だが現状のままではゴルフはやがて楽しめなくなってしまうかもしれない。その背景は何かという と、ゴルフ人口の激増である。米国では約1万コースに1200万人、単純計算でいけば1コース当たり1200人。その上労働時間の減少、余裕時間の増加や婦人、少年ゴルファーの増加でウィークデーのプレーも増え、コースの増加に比べプレーの密度はけたはずれに大きくなってきた。

日本では昭和44年550コース、300万人として一コース当たり5450余人と米国の約五倍の密度に相当し、コースはパンクしそうであった。社用ゴルフは斜陽化の傾向だとしても、余裕時間増、婦人、少年ゴルファー増などでゴルフ人口も1人 当たりのプレイ回数も増える一方だった。物理的に混雑は避けられないのに、その上プレイの スロー化が重なっては……

ゴルフは万人が安く、楽しく、というルールの心からすればすべてのゴルファーがどうしたら早くプレーできるのかを考えるのが当然である。ところがスロープレーヤーは共通して、「人 のことは考えない」特有の性癖を持っている。 前の組にひどくおそい人がいるので「すみませんがやがて日も暮れるので・・・・・」と頼むと、その前の組や同伴者をさして「どうもあいつがおそいので・・・・」といったぐあいである。

テレビでプロがスローだったから、といって真似してもスコアはよくならない。プロはフィーリングがからだに伝わるまでいくつか心理の波を越えるものだ。 アーノルド・パーマー() のパットは好調なら早く、不調時にはおそい。土台、はじめから波のない人が時間をかけても無意味である。プロはスローだといっても読みが長いだけで途中はすごく早足の人が多い。札つきのニクラウスの名誉のために一言、普段は非常なスピードでラウンドすることを忘れないでニクラウスの名誉のために言、普段は非常なスピードでラウンドすることを忘れないでほしい。ニクラウスもテレビに映るが、構えるや否や、という早打ちの名手ビリー・キャスパーやリー・トレビノ()も同じようにテレビの画面に現われるのである。 結論として、スロープレーの根本的解決はやはり各ゴルファーの心の中にあるといえる。 ルフは、ルールは、人間個人を信頼しているからである。すべての ゴルファーは自分自身の首を締めないために、手をたずさえてスロープレー退治に乗り出すべきである。

主な関連ルール

*スロープレイを禁ずる

規則第37 不当の遅延

エチケット 4

エチケット 5

引用

新訂 スコアを縮める秘訣 

ゴルフルールの心 金田武明

コメント

タイトルとURLをコピーしました